「小さくて綺麗なものが作りたい。」

せっかく自分のブログになったので、ポエムを書きます。

だいぶ前からtwitterのbioにもしてる「小さくて綺麗なものが作りたい。」という言葉、
一言で簡潔に表すとこうなるだけで、実はこの気持ちをちゃんと書き出した文章があるのです。

なぜ突然こんな話をしたかと言うと、ゲーム開発界隈の人にこの話をしても、
理解はしてもらえても共感してもらえないことが多く、仲間を探したい、というのが主目的です。
共感してもらえる方はtwitterにリプください。
喜びます。

小さくて綺麗なものとは

  • 前提として、ゲームだけの話ではない。
    • 物理的な商品、料理、映画の脚本、世の中に存在するもの全てに対して「小さくて綺麗なもの」が好きだと思っている。
    • この世に存在する誰かが作ったものに対して「本当にそんな複雑にしないといけなかった?」って言いたくなるものがたくさんある。
  • 「プロダクトがユーザーに与えたい体験がシンプルに定義されていて、それが必要最低限のものだけで構成されている」
    • コスパを最大化したい。ここで言うコストは金額ではなく時間のこと。
      • コストをお金として見た時のコスパを最大化にしようと、プレイ時間を伸ばそうとするゲームをよく見る。
        • 「たった10分でクリア出来ちゃうゲームじゃ1000円も取れないよ!」みたいなこと。
      • 自分が求めているコスパのコストは時間で、最短の時間で「ユーザーに与えたい体験」を達成したい。
    • 「小さい」
      • 物理的な大きさの話でもボリュームの話でもなく、基本となるユーザーに与えたい体験、コンセプトがシンプルに定義されているということ。
    • 「綺麗」
      • それらが必要最低限のものだけで構成されているということ。無駄がない様。
    • 難しいところは「ユーザーに与えたい体験」が明言されることはあまりない、ユーザー自身が「こういう体験を与えられたい」と考えてしまう点。
      • ここで相違が生まれることはあると思う。
      • これを広く拾うために世の中のビッグタイトルは色んな要素を入れて「これを求めている人もあれを求めている人も受け皿になるよ!」となっている。
  • 何故「小さくて綺麗なもの」が好きなのか/作りたいのか
    • 特にゲームで、この世界にあるものは大きすぎると日々思っているから。小さいものもあっても良いんじゃない?と思っているだけ。この世に小さいものがたくさんあれば思わなかったかも。
    • 大きいものが売れているこの世界で、小さいものが世間的にめっちゃウケるとは思っていない、でも自分と同じように求めている人はいるはず。
    • 「足していって良くする」ではなく「削っていって良くする」という考え方。
    • 突然泥団子を渡されて、綺麗な球にしたいと言われた時に土を足すか削るか。
  • ちなみに、もちろん「大きくて綺麗なもの」も存在する。
    • 大きくする方向にすると、球のバランスを取るのが難しい。時間やコストがかかる。
    • しかし、これはビッグタイトルがやっていること。既に存在するからもういい。
  • 小さくて綺麗なものとしてあげたいのがボンバーマン
    • 最近のじゃなく昔の本当にシンプルだったころ。
    • 「頭を使って対人戦が出来るゲーム」を必要最低限な要素で実現している。
    • ファミコンで実装出来る内容という制約もあったと思う、人間出来るとやってしまう。
  • 基礎に「小さくて綺麗」が実現されていれば、その上の味付けはありだと思う。
    • 基礎の上にアイテムを追加する、キャラを追加する、などでバリエーションを出す。
    • でも基本ルールに何の変更もない。基本ルールはあくまで小さくて綺麗なまま存在している。

あとがき

以上、ポエムでした。

こういうこと書く場が今まで無かったので、これが書けただけでもブログ作って良かったなぁ。